私の歩いてきた道・前編


私の生い立ちのお話。

私は、心と体のことを学ぶまで 心がとても苦しい状態でした。

はたから見たら 幸せそうに明るく見えていたと思います。

心の苦しさは、言葉では人に説明できなくけど、苦しい。

死んでしまいたいたいくらい、でも、死んではいけないとなぜか思っていました。

死んでしまう、勇気もなかったです。

 


こんな苦しかった私でも 今は、心軽く生きることができるようになりました。

もちろん、悩みは、ありますが前向きにとらえられるようになりました。

よかったら私のお話を読んでください。

誰かの心が軽くなったら幸いです。



少し長いので 前編、中編、後編にわかれています。

前編は、幼いころから高校卒業

中編は、高校卒業から25歳ぐらい

後編は、26歳から今に至るまでです。

 

 


いつからなのか

幼いころから 生きずらさを抱えていました。

幼かったからなのか、言葉で苦しさをうまく表現できず。

物理的な物には、恵まれていたので まわりから理解されないだろうと思ったのか、幼稚園も小学校も苦しさを抱えたままでした。

また、両親に心配かけたくないもあったのだと思います。

 


今から思えば、両親が不仲だったのが大きいと思います。

一見、不仲に見せないようにしていた両親で 家族旅行に毎年、行くような空っぽの家族でした。

また、高校生のころは、、父の事業がうまくいかず、金銭的に苦しくなりました。

 

 

だからと言って、私が愛情を受けていなかった訳では、ないのです。

2人とも 私の選ぶものをとめたりすることは、なかった。

束縛ではなく、私を自由にしてくれたのです。

もしかしたら、内心、心配していることもあったかもしれません。

 

 

言葉で表現できない心の苦しさは、中学生の時に限界を迎えます。

私は、学校に行かなくなりました。

両親は、心配しました。

ただ、母には、「人と違う道に行くからには、責任をとる事」と言われます。

たぶん、母は、この子は、高校にも行けないだろうと思っていたのかもしれない。

私は、毎日、毎日、音楽を聞く生活。

今から思えば、好きな音楽を聞くのが私の救いだったのです。

中学校2年生の時に 好きな人が出来てから 「あの登校拒否は、なんだったんだ」と思うくらい普通に通うようになりました。

たぶん、思春期の性ホルモンが分泌されていたから 好きな人が出来たのだと思います。

また、行きたい高校が出来、今まで遅れた部分を取り返すように勉強を始めました。

そうすると 学校が楽しくなったのです。

 

 


高校に入っても わからない心の苦しさを抱えていました。

外には、明るく振舞っていましたが 心の中は、いつも曇り空です。

ここで 支えだったのは、数学の世界とヴァイオリンでした。

問題を考えているのがとても楽しかった。

高校は、勉強しようと思っていたので 勉強しました。

すると学年1番になることもあり、また、私の心は、苦しくなるのです。

私にテストの点で勝負してくる子もいたり、私も負けたくないので頑張るのですが 心の苦しさは、大きくなりました。

周りから 頭がいい子と思われ、本当は、そうじゃないのに 馬鹿な自分は、嫌われると思っていました。

人から どう思われるか、自由にふるまっているように見えて とても気にしていたと思います。

先生たちの期待も大きく、大学を薦めてくる。

それも とても苦しかった。

親も言葉に出さないけど、期待していたと思います。

とても複雑な気持ちでした、家にお金がないと聞いていたので 大学に行っていいのだろうかと。

答えがでないまま、高校を卒業しました。

 

 

 

私の歩んできた道・前編は、いかがでしたでしょうか。

今は、思い出が美しいものに感じられますが 当時は、グレーな気持ちでした。

ただ、いつも救いのようなものがあったように思います。

あなたも好きなことを大切にしてください。

よかったら中編もお読みいただけると嬉しいです。

中編は、高校卒業から25歳ぐらいまで。

amaneku

感情が揺さぶられる時、それは、人生が変わるサインでもあります。 あなたが知らずに溜めてしまった想いを流すことで 自分を中心に世界が動いていると感じることでしょう。 新宿で 心とからだに働きかける FAP療法、カラーパンクチャー、心理療法をしています。 今、あなたが抱えている悩み、心の中のモヤモヤは、ほんとうのあなたからのメッセージです。 そのメッセージに気がつくと 人生が変わってきます。

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