私の歩いてきた道・中編

今日は、私の生い立ちのお話、中編になります。

 


もしよろしければ、お読みいただけるとうれしいです。

前編は、幼いころから高校卒業まで。

中編は、高校卒業から25歳ぐらい。

後編は、26歳から今に至るまでです。



高校卒業後、母が食道がんと発覚、放射線治療や手術、看病の日々になりました。

これから先、私は、どうなってしまうのだろうか、不安が大きかったです。

母は、手術したものの 全身にがんが転移していた為、だんだんと弱って行き亡くなりました。

私が19歳のころの出来事でした。

亡くなると思ってなかったので ビックリしました。

本当は、ここで悲しめれば、よかったのですが 私には、悲しみきれませんでした。

母の死を受け入れられなかったのです。

たぶん、受け入れなかったら 帰ってくるように気がしていたのかもしれません。

 

 


母の死後、私は、ヴァイオリン製作学校に入学します。

アルバイトもして、一生懸命生きていたように思います。

自己肯定感や劣等感まみれだったので ささいなことで落ち込むこともありました。

自分の心をよく励ましていましたが 相変わらずの苦しさです。

でも バイト先の人たちと遊びに行ったり、学生生活も楽しいことが沢山ありました。

そこから ヴァイオリン工房に就職しましたが 1年でうつ病になり 退職。



 

しばらくゆっくりと生活していました。

たまたま雑誌に載っていたアロマサロンに行ってみることに。

アットホームなサロンで とても癒されました。

そこで カラーパンクチャーと出会ったのです。



そして、そろそろ元気になり働きたいと思い、興味のあった紅茶専門店で働き始めました。

ただ、心は、相変わらず苦しいのです。

ブライダルや内祝いのギフトで 失敗したらどうしようと不安になることが多数ありました。

発注や在庫管理で間違えてしまったらとか。

なんでも自分のせいだと思ってしまっていたのです。

同じく体もとても疲れやすかったです。

休みの日は、夕方までぐったり。

ある時、急に木に触れたくなり、紅茶専門店を退職し、職業訓練校の木工化に入学しました。

木工は、家具をメインに 江戸指物の技術、CADなどを学びます。

自由課題の家具が ものづくり大臣賞をいただいたのは、とても嬉しかったです。

ただ、相変わらず、表向きは、明るいのですが心の中は、苦しさの中にいました。

心と体は、連動しているので、からだも縮こまり硬かったと思います。

卒業後、建具屋へ就職しました。

そこでも 体調不良で退職。



やりたい職に就くのですが 疲れがとれない日々で 1年半ぐらいで止めてしまうことが多かったです。

今から 思うと 劣等感で責任を背負いすぎてしまっていたのだと思います。

また、私は、HSPで(このころは、自分がHSPであることに気が付いていませんでした)、細かいところに気が付き、人よりも多くの刺激を受け取って疲れていたのもあるのだと思います。




私の歩んできた道・中編は、いかがでしたでしょうか。

今でも 母のことを言われると 胸がきゅっとします。

爽やかな悲しみに 今は、なっています。

よかったら後編もお読みいただけると嬉しいです。

後編は、26歳から今に至るまでになります。

amaneku

感情が揺さぶられる時、それは、人生が変わるサインでもあります。 あなたが知らずに溜めてしまった想いを流すことで 自分を中心に世界が動いていると感じることでしょう。 新宿で 心とからだに働きかける FAP療法、カラーパンクチャー、心理療法をしています。 今、あなたが抱えている悩み、心の中のモヤモヤは、ほんとうのあなたからのメッセージです。 そのメッセージに気がつくと 人生が変わってきます。

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